少し前に作った曲に、『潮風の駅』という曲があります。
タイトルの通り、海辺にある小さな駅をイメージして作った曲です。
当時、自分の中にあった「海」「駅」「夕暮れ」といったイメージを、ひとつの曲にまとめてみようと思ったのが始まりでした。
制作当時は、特に何か大きな物語を決めていたわけではありません。
ただ、電車が駅を出ていったあとに残る静けさだったり、海から吹いてくる風だったり、そういう「何かが通り過ぎていったあとの風景」を音にしたかったのだと思います。
駅という場所は、少し不思議なところがあります。
人が行き交う場所でありながら、電車が行ってしまえば、そこには何事もなかったかのように静かな時間が戻ってくる。
その一瞬の静けさや、誰かを乗せて遠ざかっていく電車を見送ったあとのような感覚を、自分なりに曲にしてみようと思いました。
音作りについて
音作りの面では、ピアノをメインに据え、響きをたっぷりと残すことにこだわりました。
海の広さを表現するなら、音を詰め込むよりも、ひとつひとつの音が遠くまで伸びていくような響きのほうが合うように感じたからです。
そして、あえてピアノを中心としたシンプルな構成にすることで、海辺にぽつんと佇んでいるような孤独さも表現したいと思っていました。
そこにブラシを使ったドラムの柔らかなリズムを重ねています。
強く主張するようなリズムではなく、波のざわめきのように、曲の後ろで静かに流れているような音を意識しました。
「海の広さ」と「そこにひとりでいる感覚」。
この二つをどうやって同時に表現するかというのが、この曲を作るときに考えていたことだったと思います。
今、聴き返してみると
こうして振り返ってみると、少し面白いことに気がつきます。
『潮風の駅』を作っていた当時は、ただ目の前に浮かんだ美しい情景を音にしているつもりでした。
海があって、駅があって、夕暮れがあって。
そこを電車が通り過ぎていく。
そんな一場面を、そのまま音楽にしているつもりだったのです。
しかし、今こうして聴き返してみると、思ったよりも当時の自分自身の寂しさや、どこか物思いに耽るような内面の揺らぎが、そのまま音に映し出されているような気がします。
作っているときには、そこまで意識していなかったものが、時間が経ってから聴き返すことで見えてくる。
こういうところが、音楽を作っていて面白いところなのかもしれません。
振り返ってみれば、この『潮風の駅』を作っていた頃から、自分は「場所」や「そこに残るもの」を音楽にすることが好きだったのだと思います。
『黄昏環状線』へ
そして、そのこだわりは現在制作している『黄昏環状線』にも、確かにつながっています。
『潮風の駅』が、電車が去ったあとの海辺の駅、その場所に残された静けさを描いた曲だとすれば、『黄昏環状線』では、そこから少し視点が変わっています。
夕暮れの中を走る電車。
その車内にいる人々。
窓の外を流れていく景色。
同じ「駅」や「電車」、「夕暮れ」というモチーフを扱っていても、あの頃とは少し違った場所を描こうとしています。
『潮風の駅』では、電車が通り過ぎたあとの静かな場所を見つめていました。
一方で『黄昏環状線』では、その電車がまだ走り続けています。
そこには、さまざまな人が乗っていて、それぞれが違う時間を抱えながら、同じ車内で揺られている。
そう考えると、以前作った『潮風の駅』から、今制作している『黄昏環状線』まで、意外と地続きなのかもしれません。
あの頃はひとつの風景として描いていた「場所」が、今度はその場所を通り過ぎていく人や、そこに流れる時間まで含めて描くものになった。
時間が経って、自分自身が少し変わったからこそ、同じようなモチーフからでも、以前とは違った景色を作れるようになったのだと思います。
『潮風の駅』から地続きに続いていく、今の自分の「場所」の物語。
『黄昏環状線』では、それがどんな景色になるのか。
ぜひ楽しみにしていてください。